空想内での三人称小説における語り手視点

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昨日はスティーブストンへ行きました。

天気が相変わらず悪い。ホワイトロックやグランビルアイランドのような海のそばの街。

暗い

せっかくきましたがやはり気分が上がらず…

もう嫌になって泣きたくなりました。引きこもっても外に出ても心は沈んでいくんですね。

でもなんかこの看板好きだった

サトリって名前がなんかかわいい。こじんまりしてる。

カイロプラクティックとか鍼とかカウンセリングなどいろんなのやってる健康センターみたいです。

いいですね。わたしも日本帰ったらそういうところに通いたい。

また今日は外出れんくてつら。

なにやってんだろ。もう不調なら寝とけやって思うけど、頭の中がうるさくて寝るのもつら。

一つ昨日不思議なことがおこって、いつもは空想や過去の映像や夢などのイメージが頭に流れるときは自分自身の目から眺めるような一人称視点がふつうです。

つまりVRゴーグルつけてその世界をみてるような。自分の視点でそれを眺めるからもちろん「自分自身」の肉体はそこにない。

だがしかし、昨日突然そのイメージのなかに「自分自身の肉体」が現れた。つまりそれは三人称小説でいう天、あるいは語り手の視点である。

不思議だったな。

よく自己啓発にある「理想の自分を想像しましょう」とかならその語り手視点もよくわかる。スーパープリティーでビューティーな自分になりきりましょう♪みたいな。それで語り手視点でそんなかわいい自分自身を空想で描くゆえに語り手視点になるならわかる。

だがしかし、そこにいたのはみすぼらしくてうすら汚い現時点のありのままのわたしだった!

だからびっくりしてしまったのだ。

猫背で顔が左右びっこで長くて想像以上にキモかった😢自分はもっとかわいいと思ってた😢自分の動画撮ってその動いてる自分と自分の声のキモさに絶望するのに近い😢

まぁキモいのはいたしかたないとして、こんだけ長年自分の空想世界から抜け出せないわたしでもこの現象は初めてだからびびったんだ。

それと同時にこれはなんらかのヒントかもとすら思えた。

自分の視点で生きるのをやめようと言っているのかも。神様の視点で「自分」という駒をどう動かすか考えなさいという教えかも?ってね。

ちょっとどういうわけか教えてほしい。

さっきのヘルスセンターに行ったら教えてもらえるだろうか?

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