そこに至ることはめったにないけどね。
株じゃなくて、自分の状態について。
いつもは1段底くらいで、一時的に上がるような薬打ちまくるように、甘いものを食べまくったり、YouTubeをみたり、ゴシップ記事読んだり、ニキビ潰したり、かさぶた剥がしたり、惰眠したり、爆音で同じ音楽聞き続けたり。
あ、BTSにはだいぶ助けられてます。
そんな風にもがいてるうちに、時間の経過とともに、苦し紛れではあるが、なんとか浮上し息継ぎができるくらいのところまで上がることができる。
そうやって、1段底と水面とを行ったり来たりをものすごいタイトなスパンで繰り返してるのが日常。
あぁもうだめだ、あっなんとか大丈夫だ、をひたすら繰り返す。
でも、ほんのときどき、それらすら受け付けなくなって、もう知能指数が下がりすぎて、ゴシップ記事の文章に目が滑り、YouTubeすらも理解できず、BTSさえにも反応せず、眠ろうとしてもかえって目が冴え、食べようとして口に何かを入れても、飲み込む気もなし、流れ作業のロボットのようになるときもある。
ずーーーーん。と重しがのしかかる。
絶望的というか、なんの希望も見いだせなくなる時がある。
これが、わたしの2段底の状態です。
救いなのは、わたしはそこにそんな長い時間は居れないことです。
うつ病の人は、これが終わりのない状態だと考えると、そりゃ死にたくなるわと思います。
生きてるのがすごいです。
わたしは、底打ったら、わりとまたすぐ跳ねますから、株と同じ動きしてくれるので、ありがたいです。
わかったことは、もうだめだと思ったら、もがいたり、これ以上悪くなるのを恐れて薬打とうとせず(比喩です!)、なんかもう落ちるところまでとことん落ちるのがベストだということです。
もうとことん落ちるんです。
そして、あぁわたしには何も無いってことを肚の底から納得できれば、楽になれます。
ほんとに楽です。
苦しい時に、向上心の強さはすごいわるく作用します。
向上心の強さゆえ、だめになったきたところで無理に少しでも上げようとして、でも上がったところで結局わたしにはあれもないこれもない、足りない、足りない、とさらに苦しむことになるのです。
それならば、もうそんなもの放棄して、とことんずーーーーんと落ちていけば、いずれ限界が来て、底に着きます。
「わたしにはなんもない!」
はじめはどうしよう、どうしよう、とパニック起こしていても、次第に落ち着いてきて、
「わたしにはなんにもねぇよ、だからなんだ」と開き直ることができるのです。
もうね、クソもだめもうんこもゲロま真っ暗も最低最悪もとことんそこの中心目がけて飛び込んで、そのままそこまでずーーーーんと落ちていけば、いずれ底に着きます。
底はとても静か。
苦しい時は、もがくのはやめにする。
向上心だっていらない。
とことん落ちるところまで落ちる。
それがベスト。
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