そんな静止画のための人生なんて!

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人生は常に動き続いている。

とらえどころがない。

そんなシャッター押す瞬間だけのために生きてるなんてごめんだね。

今日も朝からオンライン英会話。

トピックに付随する質問に答える。

質問「世界中だれでもひとり話出来るとしたら誰?」

わかこ「キムテヒョン!」

先生「じゃあ彼になんて話す?」

わかこ「Thank you. Thank you. I LOVE YOU.ぼらへー💜💜💜💜💜とりあえず感謝をする」

先生「Can I take a picture?は言わないの?」

ちっちっちっ!

そりゃー言いたいけど、わたしはそんな写真をとる瞬間すら惜しいので、スマホ越しでなく直で、キムテヒョンを見つめていたいから言わないです。

結果として、その写真はたしかに自分一人で反芻し思いに浸るお守りにはなるだろうけど、それ以上に人に証明するための証拠としてというか、人に自慢するためのものになる。

少なくともわたしならそうする。

だがしかし、それがわたしの価値観的に全くもってCOOLじゃない!

COOLじゃないことはやりたくない!

からやらなーい。

いや、そりゃ写真は欲しいわ!なんなら遺影にするわ。

本来なら会って話すまで人間は動き続け魂は常にそこにあるわけだけど、はいっ!チーズ!の瞬間に全てのエネルギーを注いでしまうと、その撮られた瞬間にしか魂が存在しなくなる。

この流れこそインスタ全盛期における人々の意識だと思う。

決めた顔で撮り終わった瞬間、目が死んでる。

君たち一体何度取り直すんじゃ、最高のロケーションで最高の人達とはいチーズする瞬間に全力を注ぐ。

さらに言うならその撮った場にいるときよりも、投稿したあとの反応のほうにわくわくして楽しんでいる。

さっきの例で言うなら、キムテヒョンに会っているその時より、その時撮った写真を人に自慢して羨ましがられることにより喜びを覚える感じです。

あーそんな静止画のための人生なんて、クソだわ。

なぁ、おれたち絶えず動き続けている。

そんな四角いフレームに人生収まるなんてごめんだわ。

わたしは自由が欲しい。

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