わたしは外向的な人間だったのか

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この前、友達の家にいて、ウィスキーの特大ペットボトルをあけて飲みながら、ふと言われたこと。

人からどう見えるか気になるよね、って話題の中、

「よこちゃんは昔はすごく明るく、外交的で、クラスの中心にいるような盛り上げ役で、いざスポットライトが向けられると恥ずかしがるところはあったけど、みんなを楽しませるようタイプだったから、大人になったら絶対パリピになると思ってたんだけどね……どうして、こう内に閉じこもるなったの??すごく寂しいよ。」

と言われて、あたいは目を丸くした。

いや、物心着いた時から、恥ずかしがり屋で緊張しいで、もじもじしてて、人見知りも激しくて、大人しい子だと思ってたから。。

でもたしかに!

物心ついたときは、幼稚園のときはとにかく死や悪夢への恐怖にうなされてて毎日しんどくて、幼稚園児ながらにここから飛び降りれば楽になれるだろうかとか本気で悩んでたのですが、それがどういうわけか、小2くらいでカラッとはじけて8〜15歳くらいまではすごくやんちゃでした。

とにかく人を笑かすのが大好きで、いつも楽しくいたいタイプだった。

それが、いつからか、おそらく大学時代に本格的に、また閉じこもるようになった。

うーむ、、どちらがわたしの本質なんだろうか。

今やパリピや陽キャの対極で声が小さいタイプです。

なんつうかそんな自分にほっとするというか、人が怖くても、常に一人でいたくても、閉じこもっていたくても、暗くてもいいじゃんって思えるようになったから、本来のこの陰キャな自分にある地点で切り返したのかもしれない。

かといって、弾けまくってたあの頃は無理してた訳じゃなくて、自然と外にベクトルが向いてた。

とにかくじっとしてられなくって、むしろ閉じこもってると気が狂いそうになるから、外へわーーー!って発散させてた。

とにかくうるさいし、いつもはしゃいでた。先生によく怒られてた。

となると、ますますわからない。

つまりどちらもわたしの本質であるといえる。

いつでも変わらないのは、ひょうひょうとしてる、あっけらかんとしてる、ほんわかしてる、何考えてんのかよくわかんない、この辺は今も昔も周りから言われることです。

多分、本質というのは、そっちにある。

内向きか外向きかは、そのどちらにも本質はあって、その時その時でバイオリズムのように揺れ動くものなのかもしれない。

もう内向きに内向きに生きるのはそろそろ飽きちゃったから、またパリピッピの自分に戻るかぁ。

コメント

  1. […] 前回の投稿の続き。 […]