ほんとにやっと自分の凡庸さとか平凡さとか平均的な部分を受け入れられるような気がする。
極端さとか個性とかそういうものに囚われすぎてかえって自分を見失っていた。
自分で言うのも(言うな)おこがましいけど、わたしはおとなしくて謙虚で控えめなんだけど心の中では「わたしを見て!褒めて!」みたいな特別であろうとするエネルギーが渦巻いていた。スラダンでいうと福ちゃんだっけ?あの子の気持ちわかる。
そして能力的にも、何かがすごくできるけど何かがすごくできないタイプと思い込んでたけど、優秀さとだめさの差が激しいとか思ってきたけど、全然そんなこととなくてなにやらしても平均点で及第点を少し超えるかくらいなのが自分だったんだよね。
学生時代も、得意な教科と苦手な教科の差はものすごかったけど、でもそう思い込んでただけで、平均的な自分を当時受け入れられていたらそれほど凹凸はなかったと思う。
てか当時はその凹凸あったほうがかっこいいとすら思い込んでいたんだからあえて手を抜いたんだと思う。
みろ!この点数差を!みたいな笑
大人になっても変わらず、仕事はできないしやる気もないけど、ちょっと変わってたから異端として受け入れられていた、と思い込んでいた。
独特のスタイルだから張り切らなくてもなんとかなってるんだ〜とね。
でもそれも別にそういうわけじゃなくて、何やってもとりあえず及第点には届くから居場所があっただけなんよね。あとは謎の打たれ強さ。泣きながらまた戻ってくるやべぇやつ。
すぐ傷つくしすぐ泣くけど、ぼろぼろになりながら戻ってくるやべーやつ。
謎の打たれ強さと、とりたてて優秀じゃないがすごいバカでもない平均的な能力のおかげでこの世の中をサバイブできているのだ…!
今まではそれに気づかずに必要以上に自己憐憫してた。
わたしは、底辺無能コミュ障人間向いてない死んだ方がいいわ…ってね。
それはまちがってた!
わたしは優秀にもなれないかわりに底辺にもなれないのだ!
有能ではないが無能と言い切れるほどでもないのだ。
極めて標準能だったわけだ。
もうだめわたしは普通に生きれない…と悩み、わたしらしさをありのままに受け入れないと…と思いこんでいたが、それもちがった。
むしろ普通なてめーは普通にしか生きられないんだよって。
あとはつくづく思うのは遺伝子の重要性とわたしのなんとも普通の標準的な家系について。
おそらく家系的にはISxJ、エニアグラムだと6か9が強く、身内の能力も極めて平均的で、多くの身内はそれを受け入れて要領良く生きてきたのに、わたしだけ自分を個性的で特別で極端だと思い込んでしまったばかりに、無駄なエネルギーを浪費してしまった。
母はわたしの平凡さをいち早く見抜き、夢見がちなわたしに散々軌道修正するよう発破をかけたが、わたしはとことん反抗した。
わかこはお前らとはちがう!!
と金切り声で泣き叫んだ思春期。わたしは特別だからだれにも理解されないからもう縁を切りたがっていた思春期。
すべてはわたしの間違いだった。極めて平凡だったわけだ。
もはやここまで平均的で平凡を極めてるのは才能である。
だからこの普通さを磨くのだ。
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