Spring dayはいい曲だなとは思っていたけど、わたしはやっぱり激しく踊ってるバンタンが好きだから、こういう「いい曲」はさほど熱心に聞いては来なかったですね。
ようやくわかりました。この曲はいわゆるただの「いい曲」ではなく、ほんとに心に染み入る曲だったですね。
なのに飛ばすとは愚かだった。
というのも、わたしは日本語バージョンも聞かず、気が向かないと和訳も検索かけないので、この曲のことなんも知らなくて、綺麗なメロディだな、冬から春になれば会えるのかなよかったね、それよりもまずテテのお帽子かわゆいね!はい、終わりでした。
で、あるときセウォル号について調べてたら、この曲がセウォル号で亡くなった高校生の遺族に向けられた曲ってことを知って、あらためて和訳を調べて、そして今まで聞いてこなかった日本語版のSpring dayを聞いたら……
もう全然違う!こんな素晴らしい曲だったんだって。目からウロコでした。
やっぱり日本人だから、日本語で聞くと余計に迫り来るものがあります。
そしてあらためて自分が日本人であり、アジア人であるなぁと思いました。
なぜなら、音で聞いたりリズムやビートで聞くことがほとんどになって来ましたが、言葉に重きを置いてその詩の世界に泣くのはすごくアジア的と思っているからです。
日本人、韓国人をはじめアジア人が特にカラオケが好きなのも、その言葉に重きを置いているからでしょう。
もう最初の
「会いたい 言葉にすると余計会いたい」
ですでに胸が締め付けられますね。
この曲の本質はとにかく「会いたい」わけです。
「ポゴシプタ」です。
どんな形でもいいから「会いたい」わけです。
それがとても痛切に伝わってきます。
Netflixで、息子をセウォル号で亡くした夫婦の物語「君の誕生日」をみました。
ある日突然子供の命が奪われるのは、言葉にならない絶望です。絶望なんか言葉じゃ表せないくらいの真っ黒の世界です。
とにかくどんな形でも「会いたい」わけです。
夢の中でも、気配でもいいから……
それでも目に見えず、触れることもできないことがとてつもなく辛く、いつになったら会えるの?と問い続けるのです。
はじめは同情していた世間は変わっていきます。いつまで泣いてんのか?泣き声がうっとうしい。補償金目当てだろ?補償金貰って借金返せよ、補償金もらえんのがうらやましい……など。
ただでさえこれほどにない辛い状況なのにもかかわらず、時間の経過とともに厳しい非難にすら耐えなくてはいけなくなるのです。
バンタンとしてあえてこの曲がセウォル号の遺族に向けてとは明言しておらず、それは受け止める人次第だということですが、Spring dayはそんな辛い状況の中にある人たちの痛切な思いを曲に乗せて、変わらずに寄り添い続ける温かさに溢れたキラキラとした宝石のような曲だったのです。
日本語バージョンでお聞きください。
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