「理想」から「現実」へ。
ほんとそこだけを意識すると、世界は随分変わって見えてくる。
というような抽象的な表現になるのもINFPならではなのだけれど、そこの土台はどうしたって動かせないのだけど、
意識ひとつ、スイッチを切り替えるように【N】を【S】に意図的に切り替えるだけで、今まで見えてこなかったものが見えてくる。
「理想」という言葉がなにより自分を奮い立たせ、今の自分にはない、いつかたどり着けるかもしれない理想の世界を思い描いて生きてきました。
子どものころからです。
9:1で空想の世界にいるような子で、それは大人になっても全然変わりませんでした。
でも、あるとき気づきました。
自分が好きなのは理想の世界でいつかなるはずの自分であって、今現在を生きる自分自身は全く愛せないことに。
自己肯定感の低さは、今の自分を認められていないことからきているのだな、ということに。
それから、唯一、好きな自分でいられるのはピアノを弾いているときだということにある時気が付きました。
その好きな自分、つまりピアノを弾いている自分は、理想の世界など一切思い描かず、今現在の感覚を最大限に生かしてそれを表現している自分でした。
そんな自分のピアノ弾いてる動画を見ていて、すごくISFP的だと感じたのです。
それ以来、好きな自分でいるには、意図的に現実に根を張るように心がけてきました。
そして、ふと気が付いたのです。
なんかこのなんにもない、なんもない自分が好きだなって。
誇大でない、空想の世界を織り込んでない、今ここにいるありのままの不格好な自分が愛おしいなって初めて思えたんですね。
ありのままっていうと、本当の自分に出会っていきいきしてきてキラキラして自由に輝いて生きていこう!みたいなレリゴーな感じを想像してしまうけど、うわぁほんまぶっさいくでやぼったくてグズだけどなんかしゃーないなぁ・・・よしよしって感じでしたよ。
銀歯もあばたも白髪も、あたいの時代の積み重ねやね時代を感じていぶし銀だねって感じ。
そんなかわいそうだけどなんか憎めないかわいらしい浮浪者を保護しました~!って感じです。
もう「理想」の自分なんかより、よっぽど愛おしいですね。
自分にはなんもないけど、それを丸ごと受け入れられるようになった。
それからさらに、ISFPさに磨きをかけ、コツコツ努力を積み重ねるようなこと、現実に頭を働かせて、手を動かすことへ時間を割き、
感覚の鋭さはそのままに行動することもいとわないようになっていきました。
不格好な浮浪者、技術を磨いて職人になるの巻
って感じ
意味わからんてな。
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