あるがままの自分を受け入れる

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言葉で言うのは簡単だけど、なかなか腑に落とすのは簡単なことではない。

わたしは捻くれてふてくされてんので「あぁわたしはどーせ社不ですよ?」と開き直ることを受け入れると勘違いしていた。

さらには「社不」をアイデンティティとし始めてしまい、ますます拗れてきてしまい大変でした。(そこには傷つきたくなさで予防線はってるみたいな部分もあったと思うけど。)

そんなわたしでしたが、それはあるがままを受け入れるとは程遠いということに気がつきました。

あくまでその「社不」は全体のほんの一部であるから、そこをアイデンティティしてはいけないということです。

よくダメな自分を受け入れようとかいうから、その「ダメ」にフォーカスしてしまいがちで、さらにそんな自分もかわいいね?そんな自分もかわいいね?と自己暗示してしまい、負のスパイラルに陥ってしまっていたということがわかりました。

そこでやっぱ「ありのまま」が一番。とてもありきたりだけどその言葉がしっくりきます。なぜならそれは全体を表す言葉だから。

というのもさっきまですごくイライラしてて、自分に対してめっちゃイラついてて、なぜかといえば「(生産的なこと)なにもしてない」「(価値のあるところ)どこにも行ってない」引きこもるばかりの自分が許せなかった。

なぜ許せないと考えたところ、「このニートできるのも今のうちだぞ!限りがあるんだぞ!そんな時間を無碍にしやがったばかだな!」みたいな罵詈雑言が頭の中で飛び交っていたからです。

でも立ち止まって、なぜそれが「限りある時間」なのだろう?ってそこを疑ってかかってたら、いや?無限じゃね?いくらでもダラダラしてもいいんじゃね?って思えて、そうしたらなんかこの「ダラダラしている」ことはいいことでもなく悪いことでもなく中庸なことでした。

いいも悪いも全て勝手な自分自身の思いこみであり、ありのままのわたしはいいも悪いもなかったんです。

そうやって考えていたら、すべてのことはいいも悪いもなくそこにありのままにあるんではないか?

わたしはその認知がぐにゃぐにゃに歪んできたから、破綻していたんです。

その認知のメガネとろうよ。そこにはすべてが中庸のあるがままのせかいがあるからね。

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