自称世紀の大発見をしたら人生が変わるパラダイムシフトだなって味をしめてたけど、結局今日もどうにもならない心苦しさとともに目が覚めました。
その発見では、「死ぬことを楽しみに生きよう。人生の最期こそ最大のビッグイベントで、それまでの生きる過程はそのための前夜祭のようなもの。それまであと60年くらいあるだろうけど、60年なんてあっという間だよね。イェーイ!」というようなものでした。
ただやっぱ60年は長すぎて途方に暮れてしまっているのが現状です。
ただやり過ごせばいいんですが、その先の遠さを考えるとやり過ごす気力さえ失われます。
何度でも言うけど死にたいわけじゃないんです。
だってそんなビッグイベントする準備は全然整っていない。もったいなさすぎる。
命がもったいないんじゃなくて、こんな状態でビッグイベント迎えるには自身の存在が情けなさすぎるって意味です。
最高の状態で死にたいですから。
まぁ単純に生きていく気力がなくなっただけです。
環境さえ変わればなにもかもが変わるんじゃないかってことだけを楽しみに日本で生きてきました。
でもカナダ来て「そんなことは決して起こらない、変わらない日常がそこにあるだけだ。」ということに気づいてしまってから、生きていく気力がどうしても湧いてこなくなってしまいました。
日本では元気だったのに…と思いましたが、当時はだましだましで目の前に人参をぶら下げてやり過ごしてきただけでした。
そして人参がなくなってしまった今、どうやって今後の人生をやり過ごしていいのかわからなくなってしまったんですよ。
そんなときにあなたの寿命を教えるアプリ「カウントダウン」みたいのを遊び半分でダウンロードしてみたら、6年何ヶ月かと出てきたんです。
そのカウントダウン起動時のバイブレーションが都度しつこすぎて消しましたが。(消し方がわからなかった)
なんか6年ならなんとかいけるかもって思いました。
ちょうど40なったくらいかな、6年後は。
全然そんな早くには死にたくはないので、あと6年は人間社会生活をがんばって、その時が来たら何もかも捨てて着の身着のままのサバイバル生活をしようかなって。
ほんとにイントゥーザ・ワイルドみたいにする。
また現世に戻らずに生涯世捨て人として暮らすんです。
わたしはなにかしら未来を思い描いていないとだめなんだなって思いました。
その未来の行き着く究極の場所が死だからこんなにも死ぬことにワクワクしてしまうのかもしれません。
そしてあと6年という短い期間で、社会生活をやめられるという人参をとりあえずぶらさげておくことで、なんとかやり過ごせそうです。
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