人生の空白期間

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今をそのように捉えると少しは楽になりました。

人生の中休み、とか転地療養だとか考えていたから、どうしてもっとリラックスして楽しまないといけないのに、何するにも億劫なんだろうか?と虚しい気持ちでいっぱいでした。

そこで新たに今を「空白期間」と捉えてみると、気が楽になりました。

わたしにはそのような時間はなく生きてきたなって思いました。
だから1年や2年くらい何もしなくてもいいじゃないかと思い始めました。

学業に関しては浪人してないし、仕事に関しても3ヶ月ほどを除けばほぼぶっ続けだったわけです。

それが当たり前かもしれませんね。

でも、わたしのような人間にとっては全然当たり前ではなくって、ある意味奇跡的なことです。

どこかずれていて、何事も考えすぎて、多分感受性は強い方で、生きていくのが向いてないタイプはマイノリティーですが一定数世界のどこにでもいて、わたしはそっちの側の人間だったと言うことです。

それを免罪符にするな、とかみんな傷つきながらも一生懸命生きているから自分だけが特別に思うな、とかいう意見もあると思います。

わたしもそうやってそういった人たちを心の中でディスっていたこともありました。

あるいはそういった人たちを良くも悪くもそんなにもピュアでどうやってこの世の中を生きていけるんだろうかと疑問に思っていたこともありました。

結局わたしはそっち側の人間だなってことがこっち来て確信に変わりました。
後天的に身につけた社会適応力というか人に好かれる言動とか、そっち側のそういった人たちにはあまり見られない図々しさというか適当さみたいのを持ち合わせていたから、なまじ取り繕えてしまっていました。

でも本質はとても人間として生きるのは向いていない社会の波には揉まれることはやめた方がいいそっち側のタイプの人間だったのです!

だから、優しくしろとか”繊細さん”に気遣えとかそういうヤクザみたいな思考はないので安心してください。

むしろ人間多かれ少なかれそういった部分を誰でも持ち合わせているから、その度合いの問題でそれはグラデーションです。

わたしは「強者」に見える人からそういった弱い部分を見つけるのがすごく得意ですし、それを見た瞬間には心が震えますね。

わたしは人間の弱さをみるとすごく震えるんですよ。

なんかもうそういう人間の社会的なもん全て取っ払った生身の人間の弱さにとても興味があるわけです。

そこに人間の本質を見るわけです。

って、何が言いたいかよくわからなくなってきたけど、自分の本質に気づき始めたということです。
そうえば学生時代は「ニート予備軍」「社会不適応者」とかよく言われてたし自虐もしていたけど、ふざけていたんだけど、実際彼らはよく見抜いていたんだなぁと思いました。

あはは。

何がともあれ、この人生の「空白期間」はそんな自分と向き合うには絶好の期間です。

社会とは離れて、切り離して、弱い自分を掘り下げていくのです。

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