無宗教の自分に対して思う

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やっぱり全ての悪の根源は日照時間と思います。冬が寒いのは全然いいんだけど、ずっと雨か曇りなのが悪いです。

わたしの気質のせいだけではないです。

なにもかもがめんどくさくてやばいです。

今日はクラスの子に出身聞いたらアフガニスタン言うてて、両親と兄弟と夫と子どもみんなでバンクーバーに住んでいると言ってました。

わたしはアフガンは国ガチャでもスーパーハードという思い込みがあったので、それはよかったねーと言いました。

しかし彼女の弟は祖国に帰りたがっているといいます。

なぜなら、彼は英語ができないのとなによりも宗教の問題があると言ってました。カナダは多様性なのでなんでも受け入れるぶん、宗教色は薄いです。

彼はなんのつながりも感じられず孤独に陥るくらいなら、治安が悪かろうと大変だろうとふるさとに帰る方がいいと考えているのかもしれません。

宗教はその人の肝というか、最大の心の拠り所であり、柱となるものだと考えます。

それがぐらつくのはどんなことよりもきついのかもしれません。

逆に言えばどんな厳しい環境でも、宗教的なつながりをしっかり感じられれば乗り越えていけるのかも。

よく宗教のせいで紛争が起こる。なんのための宗教かよ?という問いがありますが、それは無宗教の人には考えが及ばないと思うし、わかるわけがないし、なんか言う資格すらないと思います。

江戸時代には踏み絵があったけど、それを習った学生当時のわたしはそんなん殺されるくらいなら踏めばいいじゃんかと思いました。そんなふうに命がかかってでも踏めない信仰深い人々の気持ちが無宗教の人にわかるわけがないんよね。

当事者でないならなんだって言えるわな。

その安全圏から物申す態度や対岸の火事的な捉えかたが自分の中にもあるのがとてもいやです。

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