さっき図書館のトイレの鏡で自分を見たら、白髪がアホ毛みたいにぴょんぴょん飛び出て、肌はブツブツで、顔色は土気色で目に光がなくてびっくりしました!
何だこのくたびれたばばあは?と。
そしてわたしは「本当に助けが必要な人は助けたくなるような見た目をしていない」という格言を思い出しました。
今の私はそれに至る過程にいるのかもしれないと。
さらにこの見た目に加えて被害妄想が激しくなり、他人のどんな言動も過剰反応し攻撃してると捉えてしまいますから、とても好戦的あるいはこの気持ちは誰にもわかるはずがないからほっといて(でも心の中は叫びを聞いて!)というオーラが出てしまいます。
ゆえに誰も彼も助けたくなくなるんですよ。
そんなやつが死にたいなんか言ったって、めんどくせーな勝手に死んどけや(笑)関わらんようにしとこと普通は思いますよ。
わたしは見た目は親切そうなんですが、かなり冷酷なところは持ち合わせてるのでわたしもそうやって見捨ててしまうと思いますね。
本当に助けが必要な人は儚げなオーラが出てると勘違いをしますけど違います…うわー近寄らんとこ…と思わせるオーラが出ているのが現実ですわ。
幸いわたしはまだ「本当に助けが必要な人」には至っていません。
まだまだ距離はあります。
というのもわたしには「温室育ち」という究極の切り札があるからです。
思い出すのは就活がうまくいかずに荒れに荒れたときにお父さんがわかこを一生養えるくらいの力はあるからいいよって言ったことですね。
そんときはうるせーー!そういう問題じゃないんだ就活そのものの存在が受け入れられないんじゃー!ってかんじでしたが、まぁそう言ってもらえる程度の懐のある環境で育ったと言う事実はいくらかの安心感を与えますね。
というか今思えば言うほど余裕はないだろう想定できますが…問題はそこではなく土台があるかということですからまぁいいや。
土台がないと「本当に助けが必要な人」かつ「助ける気持ちを起こさせない人」に至ってしまう可能性は高いです。
わたしが踏みとどまれるのは土台があるからですね。
絶対に一線は超えませんから。
それでもこんなにキツイですから、人生って大変ですね。
でも前にも言ったけど、わたしは脆い卵と硬い壁なら卵なんです。
卵の側がわたしであり同胞なんです。
そういう人たちがなんとか踏みとどまれる社会であってほしいです。
そういう人たちがなんとか立ち上がって歩ける程度の修復力を持ち合わせていけるようにな世の中になってほしいです。
ほしいだけじゃどうしようもないので、そういった脆い卵たちがなんとか生きていく小さな隠れ家を作りたい。
そんな夢ができた。
あとはペルー行ってアヤワスカをやるのも夢。



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